LOG IN

拝啓、プレゼント合戦

by 葉
g.o.a.t

That was tasty.

ほんの少し、安堵した。(つまりは、お付き合いしていた人にフラれたということである)

わたしにとって冬の間のプレゼント交換はとても煩わしいからだ。



毎回わたし自身の話で申し訳ないが、うちでは誕生日もクリスマスもケーキはあったが「物」としてのプレゼントはなかったが家族みんなで平等に食べられるケーキは欠かしたことがなかった。その代りといってはなんだが、お年玉で結構な金額を頂戴していたように思う。

わたしのきょうだいは妹が二人の三姉妹。大人になり遠く離れ離れになってしまってから、姉妹の中でプレゼント交換をするようになった。わたしの誕生日は3月であって皆なにかと忙しい時期なので、友人からのお祝いをしてもらった記憶はあまりない。否、ほとんどない。



それでいて建前じゃなく本気でこう思っている。

”心が満たされていたらプレゼント(物)は要らない”と。



だからなのか、たった一通のメールでも飛び上がるほどに嬉しい。家族からのお祝いだけでも十分だと思っている。友人がいないわけじゃない。でも、皆それぞれに生活がある。わたしの誕生日を忘れたくらいで切れるような関係じゃない友人がいたらそれでなんの問題もない。



もともと集団ではしゃいだりするのは苦手な方だ。一人でテンション上がっているのとは、また別問題。



何故、チョコレート交換をしなければいけないんだろう。ちよこれいとをして階段で遊んでいた方がよっぽど楽しいかもしれないと思うのはわたしだけだろうか。

関係性をつくるのは物を介してではなく、対話だと思う。それ故、チョコレートは一つのツールにすぎないのだろう。しかしこれは、性が変わると180度気持ちが変わるものかもしれない。思春期であればなおさら、その個数が大事だったりもするんだろう。

とかいいながらやはりわたしには、プレゼントというなんだか大袈裟なコミュニケーションツールは時と場合によってはおぞましささえ覚える。なぜだろう。。





今、ふと思い返せば、無理やり参加したクリスマス会で、もらっても特に嬉しくない物が当たってしまった時に喜んでいるフリを強いられた嫌な思い出があったな…。そういう些細な感情っていうのはいつまでたっても頭の片隅に残っているものなのか。それとも心の奥底にへばりついて離れないのか・・なんだか妙に納得してしまった。いやはや、自己解決。



それでも、去年のクリスマスプレゼントは心から嬉しかったなぁと思う。

有り難く今年も使おう。物に悪気はないし、なんといっても気持ちが嬉しかった。

けじめはつける。

あの人にもそうであって欲しいと願う。



めったにあげない貴重なプレゼントだった。


さようなら


OTHER SNAPS