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あなたのままで、それでいい

by 葉

今わたしは。

福祉の勉強をしているのだけれども、これは本当に誰しもの生活に直結するもので、一歩踏み込んだ先には生死とも隣り合わせのような気もしている。それだけ責任の大きな仕事なんだなと。



さて、皆さんは”生き辛さ”を感じたことはありますか。恵まれているという実感があるのに、何故だか窮屈だったり息苦しさを覚えたり、といった生き辛さを。わたしはその見えないバリアが生きていく上での障がいなんじゃないだろうかと考えるようになった。



全員がそうではないにしても、TVで見る障がい者はとても活き活きしているように見える。どうかすると私たち健常者よりも楽しそうではないか。。


容姿がどうであれ、一見しただけでは障がい者だと分からないような人も、セクシャルマイノリティも、認知症高齢者も誰も彼もが、死に向かって生きているわけではないけれども、なんとなく死を感じさせる危険性を孕んでいるとしても、なんだか愉快な人生を送っているように映る。


なぜ私たちは、正解を追い求めているのだろう。誰がその〇か✕かを決めるのかというと、それはほとんど自分自身なんじゃないだろうか。



わたしにとって苦しかった20代前半は、親しくしていた人が亡くなった。そして、ある友人(知人に近いくらいではあったが)は自死だったのかもしれない。20歳そこそこの人間が身近な人の死を目の前にすると足が立ちすくむ。わたし自身、うつだったから、もう色んな感情がぐちゃぐちゃに入り混じって苦しかった。
数年後、やっとお線香をあげお墓参りに行こうとしたとき、「ご仏前」の字を書く手が震えていた。それまでいつも家族に頼まれて書くのとはわけが違った。

祖父を亡くしたのは小学校を卒業したすぐだったから、まだ実感はなかったが、その時初めて「死」という概念を実感した。



…えーっとなんだか感情のままに書いていたらこんな話になってしまった。



わたしたちは誰もが、何かの可能性を秘めている人間であると思う。得意不得意があったっていいじゃないか。オール100点よりも、人の傷みがわかるような人になりたい。



それは、自分に言い聞かせていることでもある。

完璧な人間なんていない。だからこそ面白いんじゃないか。ある人はこれが上手。その人はあれが出来る。苦しい時間も時間が解決してくれることもあることを、身をもって知った20代。うまくいかないことも発想の転換をしたり、視野を広げることで何か違った一面が見えるということを。



「”可哀想”なんて、上から目線だと思う」そんなことに気づかせてくれた友人がいることに感謝したい気持ちであるが、今となっては気恥ずかしい気がして言えないけれど。



何度失敗してもいい。
だから、生きよう。
どうしようもない時は「助けて」といえる人になれたらいいよ。それだけで十分なんだと思う。


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