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背中合わせ

by 葉

わたしの2017が始動してから、なかなか書く気力が湧いてこなかった。新たな環境に慣れること、人間関係の悩みつまづき戸惑い…表面上平気な顔をして過ごしていたけれども、様々なことが水面下で起こっていて心に余裕がなかったけれど今日やっと、ひと段落したな。という、なんとなく確かな感覚がしっかりと手の中にぽっと入ったような気がした。

閑話休題。

今日はわたしの死生観のようなものについて触れてみたい。




もうこの歳になると人の死が身近にあるということをちゃんとした実感としてあることを、嫌でも認識せざるを得ない。友人や知人の死。病気や不慮の事故、そして自死。それらはすべて仕方のなかったことだと受け容れたいと思う。そうやってひっそりと偲んでやりたい。せめてもの気持ちとして。



だから、今生きていることはものすごい現実なんだなと、時にハッとしたり、感謝したりする。
今まで自死は悪い悪いと言われ続けてきた。けれども先日、その人にとってそれを否定はできないことかもしれない、という話を聴いた。ほろほろと泣いた。

確かに、自分で自分の命を絶つことはダメなことかもしれない。だけど、わたしは肯定というか、そうか。と一度はその人の苦しみや傷みを共感してあげたい。ペシっと指の先で弾き飛ばしたり、ぐしゃっと靴の底で踏んづけてしてしまいたくないなと思う。



皆が皆、強いわけじゃない。それに、色んな価値観があっていいはず。


脆くて不確かで、何の安定もせず、それなのにずんずんと時代は進んでいく。それは進化なのか後退なのかわからないけれども微塵も私たち市民の声は反映されていないように感じる国政。それぞれの国の文化が悪い意味で統合されそうになっているような感じがする。怖い。基準?標準?それは個人の中に適当なものがあるはずで、でもそれだけでは社会で生きていくことは難しくて。国際化が進む中、「尊厳死」を認めてもいいんじゃないかとわたし個人の意見として持っている。

でもね。優しい人が今にも崩れそうな人の傍にいてくれたら、いいなあとも思う。

生身の人間はちょっぴり弱いところもあるんだよな。体も心も頭も全部繋がっている。どこかに歪みが生じたら、やっぱりどこかに支障が出てくるわけで。それはもう当たり前だしそれが人間という生き物だと思うから。


頑張っても頑張っても報われなくて、もう頑張れないのなら、少しくらい休んだっていいじゃないか。そんなやさしい社会であって欲しいと切に願う。

(前の記事と矛盾もあるけど、これも本当の気持ち)

ー皆に幸あれ


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